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京王帝都5000系第二の人生
京王5000系メモリアル撮影会
<<エアフォースワン>>
フセイン大統領の拘束のニュースが入った。核も生物兵器もビンラディンも見つからず、肩身の狭い思いをしていたアメリカとしてはこれほど良いニュースはないであろう。おめでたい人はこれで戦争の終結との見方をするかもしれないが、報復の報復は報復しか生まない。そもそも貿易ビルの事件を招いたのがアメリカの中東への強引な駐留にあるのだから。アメリカがフセイン大統領の扱いをこの後どのようにするつもりか知らないが、この拘束をめぐってテロが激しくなる可能性があるから注意が必要だ。治安の回復などありえない。管理人はフセイン大統領の肩を持つつもりはない。ただアメリカのこれまでのあまりに強引で勝手なやり方を見れば、ビンラディン追跡のどさくさ紛れに、邪魔なフセイン大統領を指名手配し、そのついでにイラクを征服した印象がぬぐえない。
偶然同じ日のこの直後に映画「エアフォースワン」がテレビで放映された。ハイジャックされた大統領専用機「エアフォースワン」で、アメリカ大統領が革命軍と単身戦うという「アメリカ万歳映画」であるが、他局がレギュラー放送を変更する中、中断せずにすべて放映したところに局の意図的なものを感じる。お陰で以前見たときと全く違った見方ができることを感じた。かく言う管理人も平和ボケしていたというわけである。この映画を見て、大統領が、国民が、命がけで国を守る正義に憧れを持つか、自分らの過ちを棚に上げて逆らう国はすべて敵とするアメリカに恐怖を感じるかは、視聴者で決めてくださいとの局のはからいかもしれない。もちろん映画をどう解釈しようが視聴者の勝手ではあるが。
仮にフセイン大統領拘束までを映画化した場合、これに至るまでの経緯は、あまりにストーリーが強引で、ハリソンフォードが主演しようが、ハリウッドが製作に何百億かけようが、フィクションとでっち上げを相当数まじえねばまともな映画はできないであろう。
2003.12.15管理人
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<<戦争の特典>>
やはりというか、日本も巻き込まれてきた。右へ右へと傾く日本を見るにつけ10年後には徴兵があるかもしれないなんてことをよく考えていたが、案外もっと早いかもしれない。一度自衛隊が海外へ出てしまえば既成事実をもとにいくらでも自衛隊の行動範囲を拡げられる。もっともすでに湾岸戦争でペルシャ湾への掃海艇の派遣をしているのだが、今回は戦争が終結していない状態での派遣であるから、事実上の参戦である。戦地へ行くとなれば途端に自衛隊員はみなにわか反戦者に変わる。目の前に死が待っているのだから無理もない。
自衛隊員が尻ごみするならば、頭の悪い若者を取り込むことからはじめればよい。戦争などという空気を匂わさず、入隊者の中から抽選でプラズマテレビ100台をプレゼントすれば良い。これは対戦車砲の砲弾一個の値段に過ぎないから安いものだ。これで寮は光熱費がただの上、給料まで支給してくれる自衛隊に若者が殺到するだろう。抽選にもれても全員に国民年金の一生免除という特典がある。激戦地区に送り込めばほとんどが帰ってこないだろうから老後の積み立ても必要なかろうし。
管理人が何と非常識なことを考えているのかと思われる方もあろうが、これと大して違わないことを考えている輩が、背広を着て紳士面して永田町を歩いていることを忘れてはならない。
2003.12.5管理人
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<<政府介入の奨め>>
別欄で前回書いたDVDコピーのモラル問題。しかしながらモラルの欠如はこれだけにおさまらない。世界的にネットワーク上の共有ファイルでのコピーが蔓延している。
音楽ファイルを共有ファイルという隠れ蓑で不特定多数に配布した行為が、訴訟となったナップスター訴訟は記憶に新しい。
何の世界でも裏や非合法はあるもので、それらを完全に禁止することはできない。しかしながらコンピュータという業界は、他の業界に比べて、モラルと法律の違反を、社会が黙認する傾向を感じる。それはこの業界が「一般には解しがたい分野」「コンピュータ利用者は特異な技能を持った一般常識と違う人たち」という誤った認識がいまだ根強いからではないか。今やコンピュータは生活に密着し、決して特別な別世界の、かつ特殊な人種のみが扱うものではない。
書店やコンビニではコンピュータを利用しての、市販ソフトウェアのコピー方法やアダルト無修正画像の入手、クレジットカードの番号検索といった、明らかに犯罪となる情報へアクセスする手段を間接的に書いた雑誌を多く見かける。かといってこれらに政府が強く介入して、出版や通信に影響を与えるのは大変恐ろしいが、悲しいかなコンピュータ業界は、その迅速性と情報の確実性が悪い方向に利用され、史上最凶悪な無法業界となってしまった。
これまでも政府介入の危険性を問うた管理人ではあるが、ここまでに腐敗した無法業界を立て直すには、コンピュータ上の通信内容を言論出版思想の自由からはずし、政府の管理下に置くしかないのではないか。管理人の身を切られるような苦渋の決断である。政府の監視が正当などとは思わないし、恐らく問題が多い。しかしどこの国の誰とも知らない者に個人情報を覗き見られ、さらに不特定多数の者に二次配布されて、知らないうちに犯罪に利用されるよりは、政府に悪用された方がまだましではないかとも考える。住民基本台帳をシステム化して政府が取り扱うのは大反対であるが、上記の理由で管理するというのであれば、条件さえ満たせば賛成するかもしれない。
2003.10.20管理人
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<<勝手の責任>>
姉妹サイト「京王帝都5000系第二の人生」の作成のため、四国へ行ってきた。旅行など絶対にしない管理人だが、少し気が変わって穏やかな土地で遅い夏休みを過ごした。都会の私鉄で走っていた車輌が、引退後も地方で引き取られて元気に走っているという話を聞き見てきたのだが、正直なところ、元気といっても所詮40年も前に製作された引退車輌だ。活躍できる場などたかが知れていると思っていた。
ところがその車輌は、通勤ラッシュの過酷な時間は長編成で、昼間の乗客の少ない時間は2両編成と、それは実にしっかりと、かつ柔軟に仕事をこなし、地方私鉄の主力となっていた。心なしか先頭車の顔つきは、再び第一線で働けて誇りを持っているようにも感じた。
これらの車輌がリストラを受けた理由は当時の電鉄会社の運用変更である。すなわち架線電圧の変更、地下鉄への乗り入れ開始、保安基準の強化、新型車の導入に伴うものであって、けっして車輌の働きが劣っていたわけではない。これが社員のリストラにおいても言える。変わったのは社員の働きではなく、会社が社員を受け入れた当時の方針を、勝手に変えただけなのだ。それらに適応できない社員は会社の「勝手の責任」を負って、退社する。会社とはいったい何者なのだ?そんなに偉いのか?
自動車メーカーの日産が社員の首切りと部品コストの切り下げ(=中小下請けへの圧力)というあまりに安易で乱暴な方法で、わずか数年で過去最高の純利益を出すまでに変わった。うまくいく方法が必ずしも正しいとは限らないと思うが。企業の再建は首切りに限るという風潮がますます拡がらないかと不安になる。
2003.10.17管理人
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<<安全装置>>
若者の安全装置がおかしい。ここまでなら大丈夫だけど、ここから先はまずいとする人間に生まれつき備わった尺度のようなものを管理人はこう呼ぶ。たとえば、歩いていて交差点の群集の中に立ち止まる。周囲の人と自然と間隔をとって立ち位置を決める自分がいるはずである。このときの間隔はどうして決めているだろうか。相手が不快と思わない距離を無意識のうちに保つが、これは学者の話だと、相手を殴ろうとした場合に手が届かない位置だそうだ。相手からも手が届かない位置を意味する。他人同士で敵意がないことをお互いに示すためにある一定の距離を保ち、社会での共同関係を保ってきたのが元だそうだ。しかしお前は親か親戚か?と言いたくなる距離に近づく者が多い。こちらが気になって離れると相手は近寄ってくる。決して距離を保つに狭い場所ではないのに息がかかるような位置に平気で近づく。すれ違う際によけようとしないのも、単なるモラルの欠如と思っていたが、相手との距離のとり方が判らないために肩があたるのかもしれない。けんかで思わず相手を殺してしまうなんてのは安全装置の故障かもしれない。携帯メールやインターネット、クレジット決済と人と会わずに生活のほとんどができてしまう今の時代に、人との程よい関係を保つなんて必要がないのかしれない。
2003.9.14管理人
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<<本社の勝手末端の涙>>
昔、住み込みで新聞を配っていた時期がある。専売店に毎朝3時にトラックが到着し、新聞が道路に投げ下ろされる。こうして毎朝各専売店へ運ばれてくる部数はどうやって決めているかご存知だろうか。専売店が必要とするのはもちろん担当する配達部数のみであるが、管理人のいた専売店の場合、1000部の必要数に対して本社がノルマとして決めた1800部が送られてきていた。これらはすべて専売店の買取であり、結果毎月およそ25000部の新聞を専売店は自腹で負担する。新聞の発行部数として公表される数値にこれらが含まれていることは言うまでもない。自腹が嫌なら配達件数を増やすか、店を辞めろという、本社の方針である。結果地域への押し売り同然の新聞勧誘、洗剤や野球券の乱発、そうこうするうち悪徳勧誘員が招く契約トラブルが各所で発生した。本社はそんなことには目もくれず、さまざまなキャンペーンや促販企画をさらに専売店に押し付ける。管理人が世話になった専売店は今はない。
カウンターの客を1分以上待たせないというマクドナルドの60秒サービスキャンペーン。客の前に砂時計を置き、間に合わなかったら商品券をサービス。どうせマクドナルド本社の企画部が、やること出尽したものだから、現場スタッフの感情も考えずに思いついた企画だろう。ただでさえマニュアルでガチガチの職場で、さらに時間に追い回されることになったスタッフに余裕がなくなったことは間違いない。期間限定がせめてもの救いだが、これで偶然売り上げが上がろうものなら本採用になりかねない。
我々消費者は、宣伝できれいごとを言う企業の裏で、販売店や末端が負担を強いられていることに気がつかねばならない。
2003.8.14管理人
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<<PETボトルと企業>>
今年の夏は比較的涼しく、清涼飲料水の売れ行きもさほどではないだろうが、その容器にはペットボトルが完全に定着した。その出荷量は缶に迫る勢いである。しかし缶でさえ、リサイクルがうまくできていない現状で、ペットボトルのリサイクルなどできようはずもない。政府や自治体、企業、消費者のリサイクルへの関心が低いことは確かにいけないのだが、PETボトルに関しては、管理人もリサイクルに協力する気が起こらない。これの場合は特に販売企業側が売り上げを優先するあまりリサイクルに無責任な点がいけない。
ペットボトルの材質をご存知だろうか。PETとはポリエチレンテレフタレートという合成品の略称であるが、その構成すべてがPETではなく、ふたと商品ラベルはプラスチックであったりする。これらを混ぜてリサイクルすることはできない。PETをふたやラベルに利用しないのは、ふたの溝切りができなかったり商標印刷の塗料がPETにうまく定着しないためだそうな。逆にプラスチックを容器に使用した場合、低温および高温での耐久性と若干溶け出す可能性があるらしい。もちろんコストをかけて解決できそうなものだが、まあそれは分別という作業を消費者に強いて、企業は売るだけ売ってのうのうと儲けている。特に無責任極まりないのが、ふたを開けて残った栓口部分だ。本体のPETに対してここはプラスチックである。これをわざわざはずしてリサイクルにまわす人がいるだろうか。管理人はこれをはずそうとして指を切ってしまったことがある。
とうとうPETボトル型の缶容器まで登場してしまった。これなら全体同一材質かと思いきや、本体がアルミで、ふたがスチールだったりする。リサイクルマークを表示して「当社はリサイクルに貢献しています」とする企業の偽善にあきれて物が言えない。
2003.8.10管理人
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<<グリーン車で社会勉強>>
先日、新幹線で帰ろうとした際、自由席はまず座れないし指定席も2時間先まで空いていなくて、そこへ来て疲労がピークに達していたものだから立って帰るのは勘弁。やむなくグリーン車に乗っちゃいました。グリーン車ともなれば会社の役員やご令嬢といった面々で、さぞやマナーが良いだろうと思いきや、いきなり隣のおやじは靴脱いで組んだ足の裏をこっちに向ける。足の先が汗ばんでいるらしく、うっすら足先だけ靴下の色が違う。閉口している間もなく、どこからともなく携帯電話が鳴り出す。棚の上に載せたかばんの中かららしく、男がようやくかばんから携帯電話を取り出すと音は最高に達した。優雅な室内にけたたましく鳴り響く。普通の神経なら申し訳なさそうにして電源を切るか、そのままデッキに走る。しかしこの男はその場で話を始めた。まあグリーン車に限らずよくある光景だ。次に車内販売の女性がやってきた。しかし前の席の男のところでなかなかこちらまで行き着かない。ビール1缶買うだけなのにただただ引き伸ばしているとしか思えない無駄話につき合わせている。きっとこの男の会社の女性秘書や女子社員はいつもくだらない、場合によっては失礼な話につき合わされているに違いない。さすがに頭にきて「用件を早く済ませたらどうですか!」と言ってしまった。ところが車内販売の女性に謝られてしまった。車内の冷たい視線を感じた。成り行き上、¥300のホットコーヒーを買うはめに。恐らく他人の行動をとやかく言わないのがこの人たちのステータスなのだろう。
こんな奴らが会社の上部で偉そうな顔しているのならば、日本の産業衰退も仕方ないなと思ったのでした。
2003.7.25管理人
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<<癒しホテル>>
仕事柄、各地のホテルを利用することが多いが、施設のほとんどがオートメーション化されたホテルに先日泊まった。入り口のカウンターに客が近づくと奥から係員が出てくるが、部屋番号のカードを渡すとまた奥に消え、もう二度と会うことはない(係員の愛想がないわけではないので念のため)。
もらった番号カードを自動支払機に入れて金を払う。部屋は支払い機で発行されたパスワードを入力して入るが、宿泊期間を過ぎると、パスワードが変更されて入れなくなるので、チェックアウト時にカウンターに鍵を返す必要もない。宿泊期間を過ぎたら黙って出て行けば良い。
朝食はパンとコーヒーのみとシンプルではあるが、バイキング形式で無料である。特筆は多くのホテルでは館内の自動販売機の缶ジュースやビールが決まって20〜50円高いのに対し、ここは逆に通常より10〜20円安い。最近ホテルで流行のインターネットも残念ながら部屋までは来ていないのだが、共有コーナーで使い放題である。施設は通常のホテルと何ら変わることはなく、髭剃りが別売りなんていうのはご愛嬌。料金は廉価クラスのビジネスホテルとカプセルホテルの中間程度とかなりリーズナブル。ちょうど先日当コラムで取り上げたテレビドラマの高原ホテルのように、ホテルスタッフの懇切丁寧な出迎えも良いが、ときとしてうるさく感じるときもあるはずだ。
人嫌いな管理人は置いとくとして、一般の健常?な皆さんも、仕事で嫌なことがあったり、疲れきっていてもう人には会いたくないというときにこういうホテルこそ、むしろ「癒しホテル」と感じるのでは。
2003.7.8管理人
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<<棚に上げて節電?>>
東京電力の偽装工作が原発停止命令を招き、それが原因で電力の絶対量が不足している。その事実はよくわかっているつもりであるが、いつのまにか東京電力の不祥事が省エネとすりかえられてしまった。東京電力はCMにおいて、スーパーでの侘び文表示から最近音声を入れるようになった。スーパーのみで軽く流そうとしたことへ苦情があったのだろう。全く反省の気持ちがない証拠だ。
なぜこのような結果に至ったか。それは原発の運用が現在の技術では非常に難しくて、偽装や捏造をしなければ丸く収められないところにある。実験レベルならともかく実際の運用で大量の放射能物質を安全に扱うことなど無理なのだ。その問題を包み隠して何度も事故を起こす電力会社の不始末を、なぜ私たちが埋め合わせしなければならないのだろう。例によって芸能人たちは「みんなで節電しよう」などとメッセージを送ったり、各地でコンサートを開くなど何も考えていないし主体性のかけらもない。確かに停電により都市機能が停止などという事態は絶対に避けねばならないが、これだけ騒ぎを起こしてまた涼しい顔して原発を再稼動させるかと思うと協力する気にはならない。「原発事故=放射能=何世代にもわたる汚染」という危険への意識があまりに低くないだろうか。むやみに怖がることは無知に他ならないが実際に事故が何度も起きているのだから。東海村の放射能汚染などみな忘れてしまったようだ。
2003.6.24管理人
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<<夕べ見た夢の中で>>
最近は旧作テレビドラマのリメークが目立つ。
「高原へいらっしゃい」は大手企業社員に扮する田宮二郎が、子会社の赤字ホテルへ出向し、ばらばらな従業員と対立しながらも交流を深め再建していくものである。もう20年以上前の作品と思う。これが今度リメークされる。
同じようなドラマとして最近(といっても10年近く前)「王様のレストラン」があった。これも破綻寸前のレストランを主人公が立て直す物語であり、放映当時は最近になくまともな作品と思い欠かさず見たが、「高原へいらっしゃい」の質には遠く及ばない印象である。子供の頃食べたものがおいしく感じられるのと同じかもしれないが、それを差し引いても「高原...」には「本物」を感じた。
近年ドラマは、リアリティを追い求めるようになった。ロケ場面を増やし、題材にする業界を細かく調査し、虚飾のない演技や服装とセットにより、忠実に現実を描くようになった。しかし実社会が今より景気の良かった「高原...」によりハングリーなイメージを持つのはなぜか。現代のドラマは、製作者が現実社会のリアリティを注ぎ込みながらも、ドラマのなかだけでもせめて明るく見せようとする部分があるのではないだろうか。コミカルな作品が多いのも、視聴者の低年齢化ばかりが要因ではないと思う。
リメイク版「高原...」は、リストラや倒産が相次ぐ現代だからこそリメイクをしたと思うが、姑息な気遣いなしに本当の現実社会をしっかり見つめられる作品に仕立ててほしい。
2003.6.8管理人
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<<業界の新しい展望>>
自動車に興味のある方ならメーカー間で部品の共用や、同じ車なのに名前を変えて売っているのをご存知であろう。コンピュータの販売でもそれが始まったようだ。それはエプソン社のオンラインショップであるエプソンダイレクト。ここが超薄型のノートパソコンの販売を始めた。エプソン社のコンピュータも他社と同様メーカーのアイデンティティ(エプソンらしいデザイン)が強く存在するが、それはまさしくエプソン社のそれとは異なる。特にその説明はないが、外観やその仕様から間違いなくシャープのMURAMASAである。もちろんロゴは「EPSON
DIRECT」へ変更されている。携帯が可能なノートパソコンが同社のラインアップにないことからの販売力強化と思われる。自社ブランドを自社の設備で製造したのでは製造コスト以外にも検査や出荷に人件費を割かなくてはならないが、他社品であればそれらを抑えることができる。メーカーが自らを守るために自社生産を減らすのは寂しいことだが、市場の競争力を維持するためにはどんな形でも良いから各社に生き残って欲しい。他社品のOEM販売の恩恵を受けるのはメーカーだけではない。ユーザの側も市場に同型機が多く出ることにより、純正品はもちろんサードパーティ品が充実し、さらに補修部品の安定供給というメリットもある。
2003.5.29管理人
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<<CDレコーダに見るモラル>>
読み込みしかできなかったCD−ROMレコーダに替わり、CD−Rレコーダが業務用コンピュータにも急速に普及している。すでにDVD−RやDVD−RAMレコーダが一般市場に多く出回るようになった今、CD−Rレコーダはごく当たり前なのだろう。Windows-XPがCD−Rの書き込みを標準にしたこと、次期OSではさらにすべてのディスク型記憶メディアを標準サポートとするマイクロソフト社のアナウンスがこの傾向により拍車をかけた。
しかし相変わらず企業内の利用者のモラルは低い。先日も外付けCD−Rドライブで音楽メディアの複製をしているのを注意した。個人の装置でならまだ勝手だが、会社のコンピュータでこのようなことをする連中がいる。だからこそ、CD−R全盛の今でもこれを標準装備する機器を導入せず、わざわざCD−ROMモデルを探して導入している。そのくせ業務利用を旗頭に、バックアップや客先との大量データのやり取りに必要だからと、CD−Rドライブ装備の機器の導入を利用者や営業は求めてくる。管理者としてはこのような事実があった以上、いかなる理由があっても導入することはできない。自分たちの仲間の勝手な行為が本来の目的である仕事をやりにくくしていることに気がつかないのだろうか。
一部の心無い人たちの違反が、全体に迷惑をかけるというこの世の中の構図である。
2003.5.17管理人
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<<危険な行動>>
いろいろな団体が主義主張を自由に持つことのできる点がこの国の唯一の美徳である。しかし、最近危険な行動がこれを壊そうとしている。といってもけしてそれら団体のことを言っているのではない。
一番危険なのは何も考えずにそれら団体に敵対行動を起こすマスコミや警察、それにけしかけられ、ときにけしかける一般庶民である。確かに不気味な行動をする団体が居座れば、これまで平穏な生活を送ってきた地元住民の、不安で迷惑な気持ちは計り知れない。しかし、一方的に充分でない情報をもとに行われるマスコミの一斉報道と、警察による排除取り締まり、そしてそれを好奇心だけで国民が話題にして追いかけることが、正義といえるのだろうか。物事には常識があり、法律に触れれば取り締まるのが当たり前である。管理人もそれを否定するつもりはないが、「迷惑である」ならばともかく、「悪である」、あるいは「テロ行為の前兆である」と見なす基準はどこにあるのだろうか。その基準を今後政府やマスコミが都合よく操作しかねない点にこそ、私は最悪の事態を予想する。政府やマスコミ、警察の行動をちょっとは疑う気持ちを誰もが持って欲しいものである。
警察のお偉方が述べた、ある団体の事件前の行動に似ているとする発言が、いたずらに世間の不安をあおっているようだが、それを言うなら、政府や警察、マスコミの行動それこそが、言論弾圧をした半世紀以上前のどこかの国の状態に似ているのではないだろうか。
2003.5.7管理人
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<<決まりばっかり作っても...>>
管理人の利用する私鉄が5月より、駅ホームの全面禁煙を実施した。そもそも全面禁止は喫煙コーナー以外での喫煙や、禁止していたラッシュ時間の喫煙行為が目立ったことによる。決まりを守らない人がいるお陰で善良な喫煙者がさらに窮屈な思いを強いられる結果となった。
管理人はたばこを吸わないし、ホームで電車を待っていてタバコの匂いがしてくれば、不愉快な気分になったものだ。 しかし今回の措置を必ずしも歓迎しない。
同じ私鉄が車内の携帯電話の利用を通話禁止と全面マナーモードおよび優先席付近での電源OFFとしたが、誰も守ってはいない。守らなくても罰金もなければ拘束力もない。私鉄の側も守ってくれないことをわかっていながらむやみに決まりを作っているような気がする。決まりがありながらみんな守っていない、「守らなくてもいいんだ」という環境をいくつも作り出すことで、決まりを守らないことに対する罪悪感や良心が人々の心からどんどん失われていく。かといってどこかの自治体がやっている「ポイ捨て条例」や「禁煙条例」のように罰金を設けないと守らないのでは、あまりに情けない。痛い思いをしないとわからないのでは子供か動物以下である。
管理人は思うが、みなが社会人としての自覚を持たない点が諸悪の根源である。いっそ改札口で持ち物検査をして、たばこを没収するというのはどうだろうか。車内での通話や人前で平気で化粧をする行為を締め出すためにも携帯電話や化粧道具も没収してほしい。もちろん改札口の係員に「おはようございます!」と元気な声で挨拶をし、駅長のブロンズ像(?)に一礼をしないと改札に入れてもらえないことは言うまでもない。...世も末だな。
2003.5.2管理人
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<<原爆体験国はどこいった?>>
戦争をするにどちらが良いも悪いもなく、戦争自体が悪であるとは以前より述べてきたが、仮に不幸にも戦争をしてしまったならば、せめて、せめてもの、反省が欲しいし、人々の記憶にも残って欲しいものである。しかしながら、イラク戦争の反省など忘れ、むしろアメリカが勝ったことに安心さえしている。今では人々は松井の打席を気にしている。SARSウィルスの報道もイラク戦争をかき消す原因になっているようだ。つい数週間前の戦争がこのような形で、忘れられたのでは、半世紀以上も前の戦争の反省などあろうはずもないし、大国が良心を完全になくし、それを戒めたり邪魔する国もなくつりあいがとれなくなった今、いよいよ恐れていた方向に世界が動こうとしているようである。原爆を落とされた国がどこであったか忘れたが、そんな国が仮にあったとしたなら、絶対湾岸戦争やイラク戦争には反対していたであろう。
2003.4.27管理人
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<<情報管理部門の良心>>
コンピューターの需要が一巡し、出荷台数の伸びも落ち着いた。というよりこれまでが流行り病のような異常な状態であったので、ようやく使い勝手や値段の面からも高級家電の位置づけになった。コンピューターが流行り物から、生活必需品として家庭に迎えられたことはおおいに歓迎するところである。しかし一般家電と大きく違うところがある。コンピューターはソフトウェアという媒体を導入することで、自分に必要な仕様にカスタマイズできる。しかしながら購入時コンピュータに金を出しても、ソフトウェアに金を払わない者が実に多い。これはちょうど自家用車を買っておいて、税金や車検を受けないのと似ている。黙っていればわからないが、検問に捕まれば重罪を受ける。この際ここにぶちまけるが、管理人の会社でも不正使用が行なわれている。それも管理人のいる情報部門が堂々と率先して行っている。ソフトウェアのライセンスをあとから追加しようと予算化を求めても、なかなか受け入れられない。それどころか、個人が家庭で購入したコンピュータにまで、会社で使用しているソフトウェアを配る始末である。管理人はこの考え方に耐えられず、そろそろ告発しようかと考えている。もちろんその部署にいる管理人は会社から見れば密告者であり、同時にそこの部署の一員である管理人は自分が訴えられることにもなる。しかしうしろめたい気持ちでいるより、どれだけ楽かと思う最近である。
2003.3.31管理人
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<<動物愛護って?>>
動物愛護の考え方は常に議論の対象となる。あらゆる制度や考え方がある中、これほど漠然としていながらいまだ生き続けているものも珍しい。きつね狩りを文化とする民族が考えたものだから発足自体矛盾しているのだが。しかし動物愛護の定義ではなく、その適用を誤っている事件が発生した。
迷子のあざらしなんぞに人間の居住の証である住民票を発行するおふざけには大いに非難するところではあるのだが、伝説や妖怪話を地域の話題づくりに利用するのは昔から良しとしているようだから目をつぶろう。これに便乗してアイスクリームを売ろうが、Tシャツを作ろうが別に構わない。ただし、これを捕獲しようとした動物愛護団体に対して、動物愛護をかざして、抗議するのはいかがなものか。本当の動物愛護であれば、水質が悪く夏は40度近くなるような環境に、北国の野生のあざらしが出現した時点で、ただちに捕獲して生息地に返すべきであったろう。かといって今更捕獲する側も動物愛護とは思わない。ある程度の期間生息し、健康ではないにしても環境に慣れつつあるからだ。つまりはどっちも手遅れなのである。
であるから、あざらしがいなくなると、アイスクリームやTシャツが売れなくなるから、人が来なくなって商店街が寂れるから、またはあの姿を見られないとおもしろくないから、といった正直な理由で捕獲を反対するのであればわかるのだが、自分たちの利益を動物愛護に置き換えて正当化する態度が管理人はたいへん気に入らない。人間のエゴが表れた事件である。
2003.3.17管理人
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<<電話FAXはんこ>>
クレジットカードのセキュリティーに不安を持つ管理人は、めったにインターネットショップを利用しないが、比較的信頼のできるショップ(この判断もいい加減なものだが)で、懐かしい音楽CDを売っているのを見て申し込んだ。これまで店頭でも何度も断られてきた廃盤同様のCDであったから、インターネット上での売り出しを見て飛びついたのだ。しかし6点申し込んだうち1週間待って届いたのは2点だった。他の4点はメーカー取り寄せ不可の回答ありましたと、明細には書いてあった。
某検索サイトのショッピング欄には一つの商品に対して複数のショップに申し込みができるようになっており、ユーザーはこれらから安いところや自分の好みのショップを選んで申し込むしくみだ。届かなかった4点のうち3点は管理人の申し込んだ某コンビニ系ショップが唯一であったため、期待して申し込んだのに、すべて購入不可とのこと。だったら最初から掲載するなと言いたい。インターネットはそもそも情報の迅速性と正確さが売りであったはずが、古い「電話FAXはんこ」体質を改善せずに、見た目のハイテク化を目的にそのままインターネット取引を始めたと思われる店のなんと多いことか。在庫情報がリアルタイムで入らず利用者の期待を裏切り続けるショップがそのまま残れるほど商売は甘くないと思うのだが。これはインターネットに限らず、消費者を馬鹿にしたやり方を続ける商売がいまだまかりとおる国に、本当の復活は遠いと思う。
2003.2.24管理人
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<<メーカーの良心2>>
デフレデフレと安い商品がちまたで流行り、管理人も百円ショップのネクタイがお気に入りである。さて、定価6万円の50ccバイク「スズキ・チョイノリ」が発売された。コストを抑えるため収納スペースも燃料計もない、かわいさ狙いのシンプルなバイクである。ホンダも廉価バイクの発売を始めた。
もう20年以上昔になるが、ミニバイクブームをもたらしたホンダロードパル(ラッタッター!)というバイクがあった。50ccと言えば新聞屋のごっついホンダカブしかない時代に、ロードパルはそのおしゃれでスマートなデザインで女性たちを魅了した。さらには税金の枠をうまく使ってコストと維持費を抑えた47万円のスズキアルトという車もあった。いずれも売り上げが頭打ちとなった業界を立ちなおさせるべく考え出された商品であり、それはそれは予想以上のヒットであった。しかしその背景、つまりはメーカーの姿勢や商品の訴えるものにはハングリーな面を感じる。
確かに今回の「チョイノリ」もヒットするかもしれない。しかしこれが仮に失敗しても、リストラや合理化の名の下で人を減らせばいいという悪い習慣が今のメーカーには定着していないだろうか。リストラなど考えもしなかった当時のメーカーは、失敗すれば社員もろとも倒産するしかなかった。いわばぎりぎりの決断の中から生まれた命がけの商品だった。すべての責任を社員の首切りですまそうとする今のメーカーに、社員が力を注ぐわけもないし、少なくとも当時と同じ意気込みの商品が作れるわけがないのだ。(「地上の星」がバックに流れそうな...)
2003.2.12管理人
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<<メーカーの良心>>
携帯電話は進化の一途をたどり、液晶の鮮明度はノートパソコンなみ、画像メールどころか、動画の送信高速化、今後は家電のリモート操作やOA機器との複合利用にまで進化する勢いだ。本来の電話機能はついでになってしまった。ただ気づかないだろうか。もっと便利であってほしい点がある。誰も指摘しないのが不思議だ。それは現在主流の2つ折りタイプの携帯電話の電源が、開かないと操作できないことである。電源を切らねばならない場面で、ポケットや鞄から取り出してこれを開き、その上ボタンを長押ししないと切れないのであれば、ユーザが面倒がるのも当然であろう。電源を入れるときも同じことをするわけだからなおさらだ。電源とマナーボタンがボディ外部にあれば取り出したり開いたりせずとも手探りで操作できるし、その利便性からマナーも少しは向上するのではないだろうか。ここにはメーカーのユーザーにこびる姿勢が表れている。電源を入れっぱなしで平気な多くのユーザから、マナーボタンや電源操作を簡単にしてほしいなどという要望があるわけもなく、メーカーはメールやカメラ機能の強化希望ばかりを受けて新製品を開発する。不景気を理由に買ってもらうことばかりを考えている今のメーカーに、社会迷惑を考える姿勢など全くないし、自分たちの技術やアイデアで「ユーザーを正しいモラルへ導こう!」などという良心があろうはずもない。
2003.1.25管理人
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<<テレビの異変>>
また年が明けた。大晦日から正月までテレビを見ながら過ごされた方が多いのではないだろうか。50年変わらなかったテレビも2005年にはデジタル化するという。プロ並みの高水準映像や音声を茶の間で楽しめる日も近い。しかし残念ながらこの高水準メディアに乗って送られてくるであろう番組の質は低い。けしてモラルやレベルの問題ではなく、表現力について思うところを書く。最近の番組で気になるのがスーパー(インポーズ)の多さだ。通常、翻訳や聞き取りにくい場合にのみ表示されるべきところが、人がしゃべるたびご丁寧に全文が表示される番組もある。それが非常に邪魔に感じる。もちろん福祉を意識したものでもない。マンガ字やその類の字とはいえない文字が躍るときなどは腹立たしくさえある。もっと落ち着いて画面を見せてくれといいたくなる。また、スタジオのスタッフの笑い声を平気で集音する傾向もどうかと思う。スタッフは本番中物音ひとつ立てず番組を見守るというのはもう古いのだろうか。ああ、そうか。こんなこと感じるのは管理人だけか。今年もすまないねえ。
2003.1.7
管理人
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